後楽園津田永忠顕彰碑2009年2月15日津田永忠の事績後楽園の正門を入ってすぐの松林の奥に、津田永忠の事績を讃える大きな石碑「津田永忠遺績碑」が立っています。 碑文の末尾には、「明治十九年一月 従三位勳三等侯爵池田章政撰文、正五位日下部東作書、中備...Read More
奴久谷・津田永忠墓所2008年6月3日津田永忠の事績津田佐源太永忠のことを、地元の人はみな親しみをこめてエイチュウさんと呼びます。 そしてその遺徳を偲んで、彼の築造した幸島新田や沖新田、和気、備前から、 いまなお永忠さんの眠っている和気町吉田奴久...Read More
曹源寺・正覚谷墓所2008年6月2日津田永忠の事績津田永忠の時代に造られたもう一つの池田家墓所、正覚谷墓所と、その菩提寺「護国山曹源寺」です。 池田家の墓所は国の史跡に指定されており、今回の登録申請遺産の一つとなっています。 建物と境内全体は岡...Read More
映像物語2008年5月28日津田永忠の事績映像物語「庭園のこころ、新世紀へ」 後楽園三百年祭のプレシンポジウムの時に上映したものです。 写真もおいおい整備していきます。 特別名勝指定の庭園 天下の三名園と称され、四季折々に美しい姿を見せ...Read More
百間川大水尾旧堤2008年5月27日津田永忠の事績元禄5年(1691)に津田永忠が開発した沖新田を通る百間川の治水対策として、彼が日本で初めて考案した「河口部遊水池+河口水門」システムで、遊水池を囲む堤防が現存しています。現在は、新たに築かれた...Read More
大多府漁港元禄防波堤2008年5月27日津田永忠の事績瀬戸内海の大多府島に元禄11年に岡山藩が津田永忠に命じて築港させた大多府港の施設です。2段に石を積んだ構造で、曲面形状になる堤の築造技術にはみ るべきものがあります。長年の使用で随所に補修の跡は...Read More
友延新田井田跡2008年5月27日津田永忠の事績岡山藩主池田光政公が、寛文10年(1670)12月11日、津田永忠に命じ、中国周時代の地割租税制度とされる「井田法」を再現したものです。後楽園にミニチュアはありますが、ほぼ原寸大の井田遺構として...Read More
田原用水水路橋2008年5月27日津田永忠の事績元禄6〜7年(1693〜4)頃に行われたと推測される田原用水の延伸工事で、小野田川の上を交差して通水するために津田永忠によって設置された掛樋(かけひ:水路橋)です。方形の柱状石材を組み合わせて築...Read More
倉安川吉井水門2008年5月27日津田永忠の事績倉安川は、吉井川と旭川を繋ぐ水運と干拓新田への灌漑を目的に開鑿された人工水路です。 吉井川起点に残る吉井水門は、備前積みの石垣で固められた水路に二つの水門と楕円形の船廻しをともなう、国内では類を...Read More
池田家墓所附津田永忠墓2008年5月27日津田永忠の事績池田光政は、なぜ和意谷のような深山幽谷の地に儒教様式の墓所を築くことを思い立ったのでしょうか。 しかもそれまでの仏教様式を棄てての儒教様式の墓所造営です。当時としては相当思い切った決断であったと...Read More
閑谷学校関連施設2008年5月27日津田永忠の事績現存する日本最古の学校施設(国の特別史跡)、しかも創建当初から庶民に開かれていたフリースクールです。 備前焼の赤瓦が美しい講堂は学校建築物としては唯一の国宝、今も子どもたちの論語誦読の声が響きま...Read More
旧岡山藩藩学2008年5月27日津田永忠の事績岡山藩主池田光政が、津田永忠と泉八右衛門(仲愛、熊沢蕃山の弟)の二人に命じて、主に藩士子弟の教育を目的に岡山城下の西中山下に開学した藩学校です。しかし、「農民の子弟で篤志の者へは名字帯剣を許し学...Read More
岡山後楽園2008年5月27日津田永忠の事績ここ岡山城の東北隅 旭川をひかえて水瀞(すいせい)湲(かん)たり 大君、園をその境に修め 政(まつりごと)暇日に渉って恬(てん)を養う 園は舊(ふる)きに依りて稲畛(いなみ)を置き 亭在るに随(...Read More